日本は老化している。2002年9月、我が国ニッポンの65歳以上人口は2362万人で総人口に占める割合は18.5%に達した。2001年の9月と比べて、78万人増加しており、割合で0.5ポイントも上昇した。一方、子供の出生数は毎年減少し、男女の婚姻率も低下し続けている。
GDPの実質成長率はマイナス1.2%(2001年)となり経済規模も縮小し始め、追い討ちをかけるように完全失業率も上昇している。長期不況により失業者が増え、働く意欲がある人でも働き口がなかったり、希望する仕事が見つからない人が推定300万人以上もいる。
大量の失業者が発生しているにもかかわらず、日本の労働力人口は老化し続けている。国立社会保障・人口問題研究所の推計(2002年1月推計)によると、65歳以上の人口は今後も増加し、2014年には3199万人となり、総人口に占める割合では25.3%、つまり4人に1人が65歳以上になると見込まれている。
労働力人口は減少し、日本の人材マーケットは縮小する。老化した日本社会がグローバル化した国際社会のなかで経済大国としての地位を保つことは難しい。人口は老化し経済はさらに縮小、子供の数も減る。そこで注目されているのが外国人労働者の存在である。
日本はアメリカ、オーストラリア、フランスのような他民族、多文化社会を形成していない。いわゆる人種の「るつぼ」や「モザイク」といわれるような国家ではない。そのため、日本は大量の外国人労働者を日本国内に受け入れる文化的、社会的な下地ができていない。
2002年12月に国土交通省から発表された国家観光戦略は訪日外国人旅行者の経済波及効果を強調し、官民をあげて観光産業を外貨獲得産業に育て上げると宣言した。文面では書かれていないが、国家観光戦略は「人」、「知」、「金(カネ)」を世界から調達する仕掛けのひとつとして機能する。
人種、宗教、生活習慣、価値観の全く異なった外国人を包容し、日本社会に取り込むには、外国人の文化を尊重し、よいところは学び、ともに成長・発展していくという考えを日本人ひとり一人が持たなくてはならない。法律や制度の変更よりも日本人の意識改革から進めなくてはならないのだ。
バブル経済で沸いた1980年代、中東出身の出稼ぎ外国人労働者が急増した。彼らが東京上野公園で独自のコミュニティーを形成せざる得なかったのには理由がある。日本社会は異文化社会で育った外国人労働者を地域コミュニティーから追い出し、孤立させてしまった。その結果、外国人労働者たちはゆき場を失い上野公園をなかば占領して彼らのコミュニティーを形成せざる得なかったのである。
国家観光戦略に基き訪日外国人旅行者を大量流入させ、日本全国各地に外国人旅行者を送り込み、外国人旅行者との交流機会を増やすことで外国人が日本社会に受け入れられる文化的、社会的な下地づくりが進められる。訪日外国人旅行者との異文化交流体験を重ねることで日本人が持つ外国人アレルギーがなくなる。
外国人アレルギーがなくなってくると日本人が持っている高い適応能力がビジネス、経済、社会、政治、教育、医療、娯楽などのあらゆる場面で発揮され、外国人を積極的に日本社会に取り込もうとする大きな「うねり」が生まれる。
国家観光戦略では2007年までに訪日外国人旅行者の受け入れ数を800万人台としているので、訪日外国人旅行者と日本人との異文化交流が日常化し外国人取り込み気運が高まるまでに5〜7年として、2012年〜2014年頃がひとつの転換期となる。
日本の総人口のうち4人に1人が65歳以上になると見込まれている時期とこの転換期がちょうど重なる。国家観光戦略が成功し外国人を日本社会に取り込もうとする「うねり」が生まれれば、日本は労働力人口を補うため大量の外国人労働者を受け入れはじめる。大量の外国人労働者は労働力とともに異文化の「知」を日本に持ち込む。
いままで見過ごされてきた異文化の「知」に出会い、日本社会はそれを取り込む。日本は大和時代から異文化の優れた「知の体系」を吸収し日本文化を発展させてきた歴史がある。千年の時を超えて受け継がれる儒教思想、漢字文字は日本文化に取り込まれ同化した異文化の「知の体系」だ。
大量の外国人労働者が流入することでビジネス、経済、社会、政治、教育、医療、娯楽などのあらゆる場面で通訳と翻訳が必要とされ、異文化の「知」が日本に大量流入する。大量の「知」は世界最高水準の高度情報通信ネットワーク社会となった日本社会に驚くべきスピードで取り込まれ、新たな「知の体系」を生み出す原動力となる。
|