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江戸のねりまには、武蔵野の豊かな水源と肥沃な土壌があり、巨大都市「江戸」と商業都市「川越」を結ぶ宿場があった。江戸のねりまは、地の利を徹底的に活かし「ねりまの大根」を全国的に売り込んだ。農家間の生産競争、品質競争をへて生み出されたのが「ねりま大根」だった。
現在の練馬にはキャベツ畑やネギ畑が残っているだけで、大根の畑はない。近くのスーパーや八百屋にも「練馬大根」はない。練馬区の区報には「練馬大根が一部の農家で栽培され、種が保存されている」という記事があった。江戸の食文化を支えたねりまは、競争するブランド産地だった。 |