2歳と1歳と腹の子に向かって、毎日ひたすら絵本を読まされる日々。世界中からやってきた、可愛い絵と珍しい物語たちに囲まれて過ごす。
絵本の翻訳というのもやっかいな仕事だ。子供向けの絵本にはややこしい説明はない。理解できても感動がなければ意味がない。面白い絵本には文化的バックグラウンドがわからないと楽しめない表現もあるはずだが、バッサリ切り捨てず、説明的にならず、感動をうむことは小説以上に難しい。
子供の評価はシビアだ。気に入った本は何百回と読まされ、気に入らない本は1回読んで「さー次は何にしようかな」。有名な作家が文を書いたからいい絵本とは限らない。どうがんばっても、明治生まれの訳は21世紀生まれの人口には膾炙しない。
詩的にしようとして、親がこっぱずかしくて読めないようなボキャブラリーがちりばめられているものもある。読みながら「なんじゃこりゃ」とぼやきが入る。もちろん古典の名文はマニアにとっての価値はあるが、親と子の読む絵本の目的とは違う。親の口から子供の口へ、言葉と想像力の伝道者になれない絵本は本棚の隅で化石となってしまう。
『いってらっしゃいおかえりなさい』(クリスティーヌ・ルーミス/文 たかばやしまり)という絵本を読んだ。ニューヨークのパパママたちの通勤風景。「電車はガタガタ」「自動車ノロノロ」はよくわかるが、「飛行機ブンブン」?「フェリーでざぶざぶ」なに!?フェリー通勤?と、首をかしげながらも、テンポのよさ、カラフルでやさしい絵に引き込まれていく。
子供を思いながらも仕事に向かい、終わると一目散に子供の待つ家に帰り、あわただしい朝食と夕食の中にも幸せがあり、ぐったり疲れて仲良く「おやすみなさい」で終わる暮らし。日本もアメリカも変わらない働くパパママたちの愛情、この本の主題がスッと私たち親子の心に入ってきて、明日も保育園にいく元気が出てきた。
毎晩寝る前に、くり返し私たちはこの本を読んだ。原語のタイトルを見ると「Rush Hour」だった。日本語の「ラッシュアワー」、はたまた「つうきんじごく」ではあまりにもわびしすぎる。
そこで訳者が選んだタイトルが「いってらっしゃいおかえりなさい」。「いってらっしゃい」も「おかえりなさい」も英語にまったくない言葉なのに、万国共通な心をみごとに伝えた、名訳者のセンスはさすがだ。
翻訳がマニアだけのものであってはならない。マニア向け翻訳はあってもいいが一般向けとは別カテゴリと考えるべきであって、マニアが翻訳業界を牛耳っている状況は異常だ。
中途半端に勉強で得た翻訳技術よりも、心で訳し、子供の言葉でのびのび語ることのできる才能をもっと育てたい。中学生、高校生のころから、語学を始めて学ぶと同時に、絵本翻訳に取り組む機会がもっとあってもいい。
みずみずしい感性を持った10代の時期に、決まりきった逐語訳のテストをされバツをつけられて想像力を失わされ、日常会話や旅行会話をネイティブの発音どおりにまねることや、TOEICのスコアをアップさせることに血道をあげているだけでは、あまりにももったいない。
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