□━2005/06/07 第0071号━━━━━━━━━━━━━━━━━━読者数10199部━□
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▼「死体安置所から」田中モー子(匿名投稿)
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■◇「死体安置所から」
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子供を産んだ。産院にいる間、小田実の『私と朝鮮』を読んだ。1977年生まれ
、27歳の妹が、美しく着飾って見舞いに来た。しかし同じ年生まれのこの本は、表
紙も中も見るからに老けていた。注文しても区立の図書館にはなく、都立図書館の書
庫から、1ヶ月かけて届いた。死体安置所から、まさかの指名を受けて出番を迎えた
選手のようだ。
昔の本を読むだけで、自分の知らない時代にタイムトリップできる。「社会主義」
という言葉が生きていた時代。北朝鮮はこれから農業も工業も、伸びていく可能性が
十分にある、と書かれている。まるで別世界のおとぎ話を読んでいるように感じた。
当時のニュースで毎日踊っていたであろう言葉達が、まさしく死語になった今、本
の中ではゾンビのようにいきいきとよみがえり踊っている。おばあさんのみならず、
27歳の若者でさえ、これだけの年月を1人で背負って生きているのだ。古い本が、
過去を忘れる人間たちに、謙虚さを教えてくれる。
私たちはいつからどのように、「社会主義」という言葉への意識を変えていったの
だろうか。時はなんとなく過ぎていく。1977年某月某日に、確かに生きていた人
であっても、その時の意識に照準を合わせろというのは無理だ。人間は誰も今しか生
きられない。本を読んでいても、どういう背景でいっているのか、全く分からない文
章が多くあって、もどかしさを感じた。
では、今の「社会主義」はどういう言葉なのか。今でも社会主義を目指して200
5年を生きている人もいる。1つの単語はなんと幅を持ったものだろうか。言葉は何
回も死に、生まれ変わっていることを、今さらのように気づいた。改めて、古い書物
を訳すことの難しさも実感せざるをえない。
本にはまた、このようなことも書かれている。道々に金日成さんの銅像ばかり置い
てあるのはいかがなものか。プロパガンダのやりすぎもあまりうまくない。しかし、
それだけで北朝鮮を、怪しい国とただ揶揄の対象にし、人々の暮らしや今後のゆくえ
に、本当の関心を持たない人たちが多すぎる、と。まさに21世紀に入った今でも、
全く同じ日本人の意識の低さがある。
「韓国とは朴正煕さんのことではない。北朝鮮も金日成さんのことではない。一般
人たちのことを考えなければならないし、そのためには自分で知ろうとしなければな
らない」ということも書いてあるが、27年たっても相変わらず教訓は活かされてい
ない。
死語にならない言葉がある。後世の人間に、時を超えてうなずかせる言葉を贈るこ
ともできる。病室のテレビを見た。今産んだ子供が駆け出し社会人になるころには、
この情報はほとんど全部ゴミだ。まことしやかに知識人がしゃべっている言葉達が死
語になり、私の全く知らない概念が世界を席巻するだろう。
私は子供に、後世に、何を伝えたくて言葉をつむぐのか。どんなにがんばっても、
ゴミだらけのものしか作れない、だが、その中で不変の真実を、生き残る教訓を、ど
んな言葉で残すのか。自分の中の辞書をアップデートしていけるだろうか。流れてき
た年月と、自分で作り上げた、ひとりよがりなボキャブラリーに、すでに傲慢になっ
ていないだろうか。
これからだんだん年をとる。いつか子供の世代が書いた本を読み、新しい日本語に
へぇ、と微笑める自分でありたい。「母ちゃんの頭は古いよ!」そんな罵声を浴びる
のも楽しみだ。そして私の残した仕事の1つでも、「これはいいね」と若者に言って
もらえるなら、まさしく人生の本望だろう。
(田中モー子=匿名投稿)
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