通訳業界・翻訳業界は「実力主義だから女性でも活躍できる」と書かかれていることがある。また「実力だけあっても営業力がなければ仕事はもらえない」とも言われる。実力が問題となるのはハイレベルの優秀なフリーランスだけであって決して全てが「実力主義」かとういうとそうではない。
しかもこの通訳業界・翻訳業界も日本社会の習慣や文化とは全く無縁な業界ではない。一部では派遣会社、翻訳会社と登録者との馴れ合いなどが横行し「実力主義」とは名ばかりで実態は双方に都合がよいだけの「ご都合主義」が覆う。本当の意味で双方に都合がよければよいのだが。現実はそうでもない。
「実力主義」や「能力を活かして」などというセールス文句が乱用され「語学力」だけあれば仕事としてやっていけるという幻想を持つ人が多いらしい。しかも「スクール」を卒業して2、3年もすれば「通訳者」、「翻訳者」になれると思い込む人も多いらしい。
たしかに派遣社員や登録スタッフにはなれるだろうが、あくまで「派遣社員」であり「登録スタッフ」で通訳者、翻訳者だと思っているのは本人だけなのだろう。結局のところ通訳者、翻訳者と呼べる人は少ない。通訳者、翻訳者人材が育つためには最低でも10年以上の修行が必要だと多くの通訳者、翻訳者が著書などで論じている。
「通訳者」、「翻訳者」だと思い込んでいる人にかぎって資格試験や試験点数で「実力」、「能力」だと言う。残念なことに資格試験や試験点数は通訳業界・翻訳業界で「能力」を示すものさしにはならない。第一線で活躍する通訳者、翻訳者には資格試験すら受験したこともない人がいる。
その一方で難関といわれる資格試験に受かった人であっても仕事が一向に回ってこない。なぜなら、外国語を外国人と同じように話せる、書ける、読める、思考できるとういう「能力」は備わっていることが前提とされる職業だからだ。難関の試験に受かったからといって顧客が満足するような「サービス」を提供できると証明してくれるわけではない。
外国語を外国人と同じように話せない、書けない、読めない、思考できない人に異文化間の歴史的、文化的、時事的バックグランドを考慮した通訳など到底できない。外国語を外国人と同じように話せない、書けない、読めない、思考できない人に異文化の異なった論理構造や思考プロセスの産物を異文化言語に翻訳することなど到底できない。
もしできたとしてもそれは思い込みや言葉の置き換えに過ぎない。通訳能力、翻訳能力は単なる言葉の置き換え作業よりももっと深いところに存在する能力で簡単に計れるものではない。このような議論は専門職種や専門技能を使う職業ではよく取り上げられる題目だ。なにも通訳者、翻訳者に限ったことではない。
ところで最近、この通訳業界・翻訳業界でまがりなりにも仕事をしてきた人にある種の共通した「不安」が覆っているように思える。それは「競争」という熾烈な生存競争に対する「不安」。不況を背景にした雇用不安により「資格」や「専門技能」を持つことが厳しい経済環境下での最善の策であると信じる優秀な学生や人材がこの通訳業界・翻訳業界に新規に参入している。
また大企業の早期リストラ計画の影響もあって専門知識と語学力を持った優れた人材が大量に放出され、大量の団塊世代高学歴定年エリート集団が新規に参入している。彼らが第一に考えるのが「語学力を活かした仕事」だ。
そしてこの通訳業界・翻訳業界にぞくぞくと参入する。彼らが企業で習得したビジネスセンスやバランス感覚はこの通訳業界・翻訳業界の一変させる可能性を秘めている。そして既存の「古参者」を打ち負かし熾烈な生存競争、価格競争を展開し生存の果実を獲得していくのではないか。
第一線で活躍する通訳者、翻訳者ですら高学歴定年エリート集団の持つ専門知識には到底及ばないが第一線で活躍する通訳者、翻訳者には「単なる言葉の置き換え作業よりももっと深いところに存在する能力」がある。
この「能力」こそ最低10年以上の修行が必要だといわれる「能力」だ。だから第一線で活躍する通訳者、翻訳者は高学歴定年エリート集団や超高学歴の新規参入組みのライバルにはなりえない。
だが「通訳者」、「翻訳者」だと思い込んでいる人達はまず高学歴定年エリート集団や超高学歴の新規参入組みのえじきとなって仕事をどんどん奪われる危機に直面し熾烈な生存競争を強いられる可能性が大きい。一方で通訳、翻訳のサービス利用者は通訳、翻訳のサービス向上、サービス料金の低下、サービスの多様化となって利益を受けることができるかもしれないのだが。
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