医者になったら一生医者。弁護士になったら一生弁護士。それと同じように「一生安泰の通訳・翻訳家に『なる』ことができる」と錯覚して、「どうしたら『なれる』のかな?」と思っていた時期があった。
通訳・翻訳メルマガに登録する人も、「メールでなんとなく仕事が来て、それでメシが食えたりするのかな」とほのかに期待したりするだろう。だが世の中そうは甘くない。通訳の会社の審査に行っても、実力が足りないと落とされる。通訳・翻訳は、やらなければいつまでもできない。できない奴には仕事が来ない。仕事が来ないからいつまでもできない。
どこかで「できなくても無理やりやる」段階を踏まなければ、「できる」レベルに脱皮していかない。だが、「仕事をくれる」人は、私よりもっと「できる」人を求めている。私はどうやってそこへ割り込めばいいのか?
せっかく語学に興味があって、がんばりたいと思う人は多いのに、ただ、「なんで仕事がないんだろう」と手をこまねいたり、スクール産業の食い物にされていくしかないのか?
本当は潜在能力があるのに、眠らせている人がいっぱいいる。そして、日本の異文化理解は全く進んでいない。1990年代末、韓国の歌や映画が面白いよ!と力説しても、周りの誰も取り合ってくれなかった。
韓国語を勉強しても、仕事のあても見込めなかった。だが、韓国が好きだった。韓国語を教えてくれたメル友の高校生が、6年後、夫になった。ちょうどブームとぶつかって「いいわね」といわれるけれど、ブームに乗って結婚したんじゃない。
誰にも見向きもされなくても、オタクに勉強を続けていくしかない。歴史をさかのぼるほど、私よりもっとスゴイ人たちがいる。「なんで朝鮮なんか」といわれながら、交流に尽力した、先人たちの努力を見るにつけ、自分もがんばろうと思えてくる。
なぜ今になって、冬ソナ・「韓流」ブームは来たのか。根気よく勉強し、紹介し続けた人がいたはずだ。今、韓国ドラマを見ながら母が、「韓国でも靴を脱ぐのね」「韓国人も銭湯に行くのね」とのたまう。私たちはこんなにも異国を知らない。世界に対して恥ずかしいほど、通訳・翻訳者の力は足りていない。
今、ウルドゥ語で、ベトナム語で、何が読める?本屋にあるのは文法書と辞書と、クソ面白くもない平凡な設定の会話集。市場がないから情報も提供されない。市場がないから、通訳・翻訳では食っていけない。じゃあ、市場がない状態に甘んじているのは誰だ?
外国語を知っていることは、それだけで財産だ。初学者だって、ゼロと1は全然違う。あなたはなぜその外国に、外国語にひかれたのか。一生勉強しない日本人たちにも、教えてあげようじゃないか。
胸がときめく何かを、異文化に一番近いところにいる者が、ドカドカ・ジャカジャカ紹介していくことだと思う。仕事はもらうものじゃない。インターネット時代、一人一人が市場を創り出せる。自分の世界を開いて、そこへ皆を呼び込もう。
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