1947年5月3日に施行された日本国憲法と1889年2月11日に施行された大日本帝国憲法を読み比べていくと、いろいろと気づくことがある。現憲法は補則を含めて103条の条文で構成されているが、旧憲法は補則を含めて76条の条文しかなかった。
大日本帝国憲法から日本国憲法に改正された際、新たに27条分の条文が増えたわけだが、それぞれの条文を読み比べていくと、27条分ではなく40条ちかい「異質な条文」が、現憲法に書き加えられていることがわかる。
新たに書き加えられた「異質な条文」のなかで、とりわけ目立つのが憲法第9条の条文だ。この憲法第9条の条文は、明らかに翻訳文であり、翻訳語によって条文が組み立てられている。
憲法第9条の条文はこうだ、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と。
この条文を、翻訳文として読んでみると、まず「正義」、「基調」、「希求」、「国権」、「発動」という翻訳語にひっかかる。何度も読み直しているうちに「国際平和」、「国際紛争」という翻訳語にも、ひっかかる。そこで、翻訳語とはどういう言葉なのか、柳父章の『翻訳語の論理』の中から引用してみよう。
「作られた言葉である翻訳語は、結局、翻訳者、造語した者の意図通りの言葉にはならない。それは、海の彼方の先進文明国の言葉の意味を、そのままこちらに持ち運び、伝達し、有効に機能する言葉とはなり得ない。」(35P) |
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柳父の言葉を借りれば、憲法第9条を含め現憲法に書き加えられた「異質な条文」は、戦勝国側の言葉の意味を、そのまま敗戦国である日本に持ち運び、伝達し、有効に機能する言葉にはなり得えなかった。
見方をかえると、戦勝国側の言葉の意味をそのまま日本で機能させるためには、戦勝国側の言葉をそのまま用いて憲法を制定する必要があった。戦勝国側は、日本の翻訳文化の本質を理解できなかったし、理解させなかったからこそ、いまの日本国憲法があるわけだ。
柳父章は、別の著書『翻訳文化を考える』の中でこう指摘している。
「翻訳語は、第一に、具体的なイメージとのつながりが乏しい。そして、具体的なイメージが乏しいにもかかわらず、何かしら確かな、正しい意味がそこにある、と感じられている。この感じそのものは、ことばの意味とは言えないかもしれない。少なくとも、ふつうの意味ではない。が、それは、結果として、重要な文脈上の意味を生みだしているのである。」(10p) |
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現憲法は、戦勝国側によってつくられた言葉の意味をそのまま伝えない。憲法第9条をはじめ、現憲法に書き加えられた「異質な条文」は、日本がもつ翻訳術によって「新たにつくりだされた条文」である。「悪文」、「おしつけ」という憲法観は、戦勝国側が残した原文にひきずられ、その原文にとらわれている。
大日本帝国憲法第73条にはこうあった、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ」と。現憲法第96条に受け継がれた条文ではあるが、旧憲法にあった重要な言葉が削られている。それは、「将来」という言葉だ。
「将来」という言葉を使う時、人は「現在」を考える。「現在」と「将来」を比べながら、「将来」あるべき姿を考える。また、「現在」は「過去」の積み重ねであるから、「現在」を考えていけば、当然「過去」も振り返る。大日本帝国憲法第73条に書き込まれていた「将来」、この言葉の中に先人たちの憲法観があった。
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