根拠のない「高品質、低価格」や「一流の翻訳」などというキャッチコピーがネットに氾濫してきた。おもしろいことに、こういうキャッチコピーを掲げているところにかぎって表玄関を「金ぴか」にしておきながら、裏口が「ボロボロ」になっていることに気づいていない。
会社を見抜く方法はいろいろある。そのひとつの方法に「採用情報」をみる方法がある。「通訳者のマネごと」をやりたい人、「翻訳者のマネごと」をやりたい人は、たくさんいるのでホームページに掲載しておくだけで応募者は集まる。
まともな会社も、そうでない会社も、採用情報をホームページに掲載しておけば応募者「数」に困ることはない。だから、その採用情報をじっくりと眺め、冷めた目で比較分析をやれば「どの程度の会社」か見抜くことができる。
自動車メーカーや法律事務所ならまだしも、本業で通訳サービスや翻訳サービスをやっておきながら「語学力」や「資格」などといっているところが、驚くほどある。こういうところは、いったい何を「商売」にしてやっているのか分かるだろうか。
「語学力」や「資格」などといって集めた人間に何をやらせるのか、そのような人間たちが、どうやって「高品質」や「一流の翻訳」を生み出し、新しい価値を創造することができるのか。だいたい、自分で自分のことを「一流」などといっている人間は傲慢だ。
本物の「一流」よりも「一流らしく」見せることにやっきになり、「一流」とは何なのかも知らず、流行語を羅列して虚勢をはる。まったく、愚かなことだ。こういう愚か者が、会社を経営しているから「一流の翻訳」などと言い出す。そんな会社は「三流以下」のインチキ会社だ。
会社組織に属さず自力でやってきた人間には、独特の嗅覚が発達する。実社会で経験と実績を積み、修羅場をくぐり抜けてきた本物の通訳者や翻訳者に、ハッタリは通用しない。いくら表玄関を「金ぴか」にしておいても裏口が「ボロボロ」であることなど、すぐにわかる。
当然、本物はこういうインチキ会社には集まらない。では、どういう人間たちが集まってくるのかといえば、本物じゃない人間たちが集まってくる。どうすれば「本物らしく」みせることができるのか、そればかりを考えているから虚勢であっても「一流」という言葉を使ってみたくなる。
ところが「一流」という言葉は、非常に危険な言葉なのである。虚勢で使い続ければ、間違いなく墓穴を掘ることになる。どんな分野でも「一流」という言葉を与えられる人間は限られている。凡人に「一流」という言葉を与え、その気にさせれば、自滅するだけだ。
見込みのある人間や会社を潰すのに、脅しやカネは必要ない。「一流」という言葉を与え、その気にさせるだけでいい。はるか上空で輝き、限られた者だけにしか与えられない「一流」という言葉に、すっかり魅了され、とりつかれてしまうからだ。
「一流」という言葉にとりつかれれば、懸命に積み重ねてきた自信は「驕り」や「慢心」に変わり果て、嫉妬心や恐怖心に頭の中を支配される。自らがつくりだす妄想の迷宮の中に閉じ込められ、ひっそりと最期をむかえる。「一流」という言葉は、そういう魔力を持っているのである。
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