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■「心に詩が届かない」-2005/09/23
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 平安時代の再来か、と思うことが時々ある。男女がセックスして帰れば、後朝の文を即座に送りあう習慣が、1000年ぶりに復活したともいえる。小姓が文を運ぶ代わりに、携帯電話がメッセージを運んでくれる。

 まめなコミュニケーションの中に、心のふれあいの機微、相手に伝えようとする小さなメッセージと言葉の工夫が生まれ、それが平安期のような文学を生んでもいい素地は十分にある。しかし私たちの「文」は、あのような風流な内容ではない。季節の移り変わりを詠嘆している暇などないし、メールで「詩的に」語ろうという試みもほとんどなされていない。

 今の世の中、売れるのは就職マニュアル、商売の生き残り術、「モテ系」になるための身もふたもない小手先テクニック本などだ。メールも役に立つことがすべてで、用件を伝え、業績をゲット、恋をゲット、得体の知れない敵に勝つために、皆がしのぎを削りあっている。一方通行なのかブーメランなのか、コミュニケーションともなんともつかないメッセージが飛び交っている。

 韓国の自然と仏教哲学をうたった詩集を読んだ。かの国に21世紀の「わび・さび」は健在だ。しかし、日本語訳がどうにもわざとらしく感じる。間違っているわけでも、下手なわけでもない。しかし、単なる説明のようで、言葉がみじめに浮いている。

 私たちの心にある「詩心」と、それにふさわしいボキャブラリーが失われてしまったなら、どんな名翻訳家の名訳をもってしても、私たちの心に詩が届かない。いや、名訳というものも生まれようがない。

 1974年生まれの私には、詩は最も遠い存在だ。人格とボキャブラリーの形成時代をバブルに覆いつくされている。小・中学生時代に「ダサイ、クサイ」という言葉がはやり、徹底的にイジメの対象になった。真面目に自然を詠嘆するなどありえない。テレビや本は、どこまでも面白おかしく過激に派手になっていった。

 小学生で意味もわからず「ノーパン喫茶」「テレクラ」という言葉がはやり、保険が何かも知らないのに「ほけんきんめあてのさつじんじけんだー」と言い合い、ヘアヌード写真集のニュースが駆けめぐり、頬を赤らめる間もなく回し見した。平安期のように月の美しさをめでる言葉にくらっと来るのではなく、ブランドのバッグを買ってもらって女はベッドに落ちる。

 お隣の韓国では、本屋の詩集コーナーは花盛りだ。プロの詩人に負けず一般人も、ネットで風流な自己表現をしあう。若者だけ、年寄りだけの局地的な文化でもない。もっとも生活に疲れているはずの家事・子育て層が詩を好み、「アジュンマ(おばさん)ドットコム」では、自作の詩、小説の投稿が活発になされる。

 ためしに自分で訳してみたが、やっぱりわざとらしい訳しかできない。詩的な表現のほとんどは、多くの日本人にとって死語であるなら、いきいきと言葉が動くはずもない。

 韓国の女性は、親友同士でもセックスをおおっぴらに語れず、ひとり悩むことも多いのだという。私は「やってみなければわからないジャン!」としか言えない。役に立つ正論とは、何と情感も色気もないのだろう。「いえ、でも結婚までは」と目を落とす横顔の美しさ。韓国ドラマをいやおうなく見せられた小学生が大人になって、日本人が詩心と語彙を取り戻す日も、いずれ来るのだろうか。

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田中 モー子
 http://www.bu-min.com


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