語学ブームの終焉にともない、スクールに新規受講生が集まらない。しかも、集客ツールとして使ってきた業界誌は廃刊や縮小に追い込まれている。そこでスクールは、講師に本を書かせたり、歩く広告塔にしようとしたり、となかなかおもしろい作戦を展開している。
いままでスクールは「あなたも翻訳家になれる」、「憧れの職業」などとさんざん広告宣伝してきた。文章と同じようにキャッチコピーにも、人の考え方や経営理念がにじみ出てしまう。
「あなたも翻訳家になれる」、「憧れの職業」というキャッチコピーからにじみでるものは「不正直」、「不誠実」、「傲慢」という悪臭でしかない。優れた人材を養成し、社会に貢献しようなどという情熱、理念、使命感は微塵も感じられない。
真実の情報を隠し、幻想をばらまき、自分たちだけの利益を追求することしか眼中にない。この「あなたも翻訳家になれる」、「憧れの職業」というキャッチコピーほど、翻訳家や通訳者をバカにしているキャッチコピーはない。
本来なら、業界誌がこういう傲慢なスクールや会社を批判し、叩くものだ。しかし、この通訳翻訳業界に「業界誌」などというものは存在しない。いくら「業界誌」などと自作自演してみても実態はスクールの「広報誌」でしかない。ここまで放置した業界関係者にも責任がある。
今日、スクールの社会的な存在理由が厳しく問われている。そういう自覚や認識を当事者たちは持っていない。土地バブル経済では有効だったかもしれないが、時代はもうすっかり変わっている。いま求められているのは「ハッタリ」や「幻想」ではない、「ホンモノ」だ。
「ハッタリ」、「幻想」作戦が効かなくなり、今度は副業ブームに便乗しようとしているスクール関係者と広報誌。また真実の情報を隠し、幻想をばらまき、自分たちだけの利益を追求しようとしている。
通訳、翻訳で生活していくことは、画家になること、音楽家になることと同じくらい厳しく、困難な道となる。一流の画家、一流の音楽家になれる人は数えるくらいしかいないように、一流の通訳者、翻訳家になれる人も数えるくらいしかいない。
画家として成功すること、音楽家として成功するということはどんなことを意味し、どんな生活に耐え、どんな困難を克服しなければならないのか、ある程度知られている。
画家や音楽家になる志を立てた人間は、最低限の生活に耐え、親戚や友人からバカにされ、懸命に仕事に取り組んでも世間は認めてくれない。そんな生活が何十年と続く。どんな困難を覚悟しても、いくら強い決意を持っても、多くは脱落していく。
通訳者になる、翻訳家になるということも全く同じことだ。最低限の生活に耐え、親戚や友人からバカにされ、懸命に仕事に取り組んでも世間は認めてくれない。そんな生活が何十年と続く。どんな困難を覚悟しても、いくら強い決意を持っても、多くは脱落していく。これが真実だ。
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