日本の出版市場は高度成長期から低成長期に入った。大手出版社がそろって大赤字となった事実は、日本の出版市場が高度成長期から低成長期に移行したことを意味している。
出版社は出版市場に中身の薄い本や出版ラインを増やしただけの商品を大量投入した。だが、高度成長を前提とした「量の拡大作戦」は機能しなかった。なぜなら、日本の出版市場が「量の拡大」から「質の追求」へと移行したからだ。
高度成長期は、生産を増やす形で量的な競争が行なわれる。だが、低成長期に移行すると質的な競争が始まる。つまりブランド化が進行する。商品のブランド化は、すでに江戸時代からはじまっており、全国的な流通網ができあがって物不足が解消するとブランド競争が激化する。
「神戸和牛」や「博多の明太子」は、日本を代表する特産品として世界的な競争力を持つばかりでなく、強力な独自ブランドをつくりあげている。江戸時代から続くブランド競争は、日本の伝統であり文化である。
ブランド競争はよいよいものをつくりあげる原動力となり、世界に通用する商品を生み出してきた。ホンダ、ソニー、トヨタは日本で育ったグローバルブランドであり、世界に通用するブランドを構築できたのは、質の高いブランド競争があったからだ。
日本の出版市場が「量の拡大」から「質の追求」へと変化していくなかで、どのような変化がおこるのかは歴史が教えてくれる。それはブランド化であり、ブランド競争が激化するということだ。
だから翻訳書は翻訳ブランドが重要になる。翻訳家が重要なポジションを支配する。出版社がつくりあげてきた出版社ブランドだけでは、ブランド大競争時代に勝ち残れない。出版社は自社の出版社ブランドと翻訳家が持つ翻訳ブランドを組み合わせ、融合して独自ブランドをつくり、育てていくことになる。
いままでのように一冊単位で翻訳家と契約するやり方は通用しなくなる。出版社がつくりあげてきた出版社ブランドはすでに廃れ、質を追求する市場ニーズには対応できなくなった。資本力のある出版社は一流の翻訳家を囲い込み、一流の翻訳家は自らの翻訳ブランドを武器にして強力な「力」を行使しはじめる。
出版社の間で翻訳家のぶんどり合戦がはじまり、出版社は翻訳する原書がなくても、一流の翻訳家をつなぎとめておかなければならなくなる。ほかの出版社に引き抜かれないよう報酬、待遇面での競争もはじまる。
成熟した出版市場では、出版社ブランドと翻訳ブランドを融合させ、独自ブランドをつくりあげていかなければ「質」を求める市場から相手にされない。一流の翻訳家、一流の編集者、一流の出版社の情熱がぶつかり合い、融合して強力なブランドが生まれ、育っていく。
言葉は生きている。50年も経過すれば言葉だって力を失いはじめる。いまの日本では、古典が忘れられ、放置され、死にかけている。古典は、翻訳ブランド競争に火をつける最高の燃料となる。
翻訳ブランド競争の第一段階は、古典の新訳ラッシュではじまる。古典は、生きた言葉を操る翻訳家の感性と情熱によって魂を吹き込まれ、新ブランドとして復活する。古典の蘇生には、生きた言葉を操る一流の翻訳家が必要だ。インチキ翻訳者では、古典はよみがえらない。
ブランド競争は生産者の意識を根底から変える。ブランド競争がはじまると、なんでも屋はいらなくなる。なんでも屋は淘汰され、消えていく。ブランド競争で勝ち残るのは、他にはない強みを持ち、その強みを徹底して磨きあげる生産者だけだ。
|