「失われた十年」という言葉を使いたがる人間がいる。何度も何度も「失われた」のだと訴えている。彼らとって、失われたのは「十年」ではない。彼らが失ったものは「権威」である。しかも、「失われた」のではなく「はがされた」のである。
時代の裂け目か、新時代の入口か、それは観る人間の見方にすぎない。ある人間にとっては「失われた時代」かもしれないし、ある人間にとっては「恵みの時代」かもしれない。「解放の時代」だって悪くない、「挑戦の時代」だっていい。
どこかの新聞で、雑誌で、本で「失われた時代」などと自信たっぷりに書いてあるからといって本当にそうなのかといえば、そんなことは証明のしようがない。百年後の歴史家だって、証明のしようがない。十人の歴史家を集めたところで、せいぜい十通りの見方が出てくるだけだ。
自分で実際に観たこと、感じたことに優るものなど、この世に存在しない。自分が観たこと、感じたこと、それを素直に受け入れ、表現し、行動すればいい。ところが、それをやられては困る人間がいる。しかも「権威がある」などといっているところに、仮面をかぶってふんぞりかえっている。
支配する側、権力を握っている側にしてみれば、一人ひとりの人間が観たこと、感じたことを素直に表現し、行動されたら、支配しにくくなる。あらゆる不備、不正を指摘され、組織や制度に改善と改良を加えねばならなくなる。そうなれば、支配者の支配力、権力者の権力は、うす皮をはがされるように剥がされていく。
支配者や権力者が、自らの支配力と権力を保持するために編み出したもの、それが権威という「飾り物」である。この「飾り物」は、美しいもの、珍しいもの、手に入りにくいもの、意味がわからないもの、理解できないもの、馬鹿げたものなど、時代や文明によって多種多様なものが考案され、発明されている。
古代文明では、金細工や希少鉱石で飾られた「冠」や「仮面」が権威の象徴として、支配力と権力の源泉となっていたし、聖典、聖杯、聖剣などといった宗教がらみの品々も、いまだに神聖化され、崇拝されている。
日本の「飾り物」は香木や焼物だったこともある。金ぴかの仏像、巨大な仏像、みんな「飾り物」の変り種である。つい最近まで、翻訳書はその「飾り物」の一つになっていた。
明治の翻訳家、福沢諭吉は洋書から学べと説いたが、洋書そのものを「飾り物」にしようとはしなかった。福沢ほどの翻訳家なら簡単にできたことである。だが、そうしなかった。洋書を「飾り物」にしてしまえば、洋書から学べなくなる。なぜなら「飾り物」は学ぶものではなく、拝むものだからだ。
福沢は、それをよく知っていた。洋書を拝むものにしてしまえば、新たな支配者や権力者に都合よく利用される。そうなれば、良薬でも毒薬になってしまう。だから、新たな支配者や権力者にとって、福沢は邪魔者だった。当然、福沢は命を狙われた。
福沢の死後、洋書は万民が学ぶものではなく、もっぱら支配者や権力者に都合よく解釈され、思想統一のための道具となった。富国強兵を支えた思想は、西欧文化や西欧知識を「人類普遍の公理」だと思い込ませたところで生まれた。洋書は「人類普遍の公理」が書かれた「飾り物」となり、学ぶものではなくなったのである。
いつしか、福沢の偉業は「啓蒙思想」という言葉で覆い隠され、ぼかされ、忘れられた。現在と過去を連結するはずの古典は死語で殺され、現在と過去は切り離され、過去の代用に虚像と神話が接合された。この壮大な実験は、昭和初期の悲劇をもたらし、敗戦という形で国家の破綻を招いた。
教訓はこうだ、翻訳書を支配者や権力者の「飾り物」にさせてはならない。翻訳書は、人間をひれ伏させ、従属させ、支配するための「飾り物」ではない。翻訳書を支配者や権力者の「飾り物」にしておけば、ひと握りの支配者や権力者のために多くの犠牲者がうまれる。
虚像と神話は、人々に幸福と繁栄をもたらさない。言論は統制され、みせかけの権威が跋扈し、アカデミズムという仮面をかぶった「ニセ学者」の温床ができあがるだけだ。いま、求められいるのは福沢の理念を受け継いだ翻訳家である。命をかけて翻訳に取り組む翻訳家である。
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