読みたいから「定価」で買うんじゃない。読みたいだけなら、図書館で借りればいい。新刊の翻訳書だって「座り読み」歓迎の大型書店にいけば、すべて読める。うれしいことに、イスとテーブルがいくつも置いてある。「買わせて読ませる」という発想でいくら翻訳書をつくっても、「定価」で翻訳書は買ってもらえない。
ためしに、アマゾンで翻訳書を検索してみるといい。「定価」のすぐ下に「ユーズド価格」なんていうのが表示されている。「ユーズド」なんてみると、「ユーズドカー」を思い出すが、要は古本だ。定価2000円の翻訳書が70円だったり、ベストセラーになった新書なんか、たった1円だ。
「定価」と「ユーズド価格」、その差が大きければ大きいほど古本を買いたくなる、あたりまえだ。カバーに傷がついている、シミがついている、そんなもの知ったことじゃない。定価2000円の翻訳書が古本で70円なら、古本の方がいいにきまっている。
読者の本棚には、大きく分けて2種類の本が置いてある。いずれ捨てる本と、残して「本棚を飾る」ための本。捨てる本は、資源回収日に出されるか、古本として売りに出されるかして読者の本棚から消える。アマゾンで「ユーズド価格」がつけられている古本は、読者に「捨てられた本」でもある。
おもしろいのはベストセラーになった翻訳書でも、値崩れしていない商品があるという事実だ。なぜ値崩れしていないのか、それは読者の本棚にずっと置かれているからだ。ただ置かれているのではなく、飾ってあるから古本市場に流れてこない。
10年前にベストセラーになった翻訳書、それを数日前に「定価」で買った。「定価」と「ユーズド価格」に千円以上の開きがあったら「定価」でなど買っていなかったかもしれない。
自分でもびっくりしたのだが、「定価」で買うと決めたその瞬間、翻訳家の顔がみえた。そう、一人の人間としての翻訳家がみえたのだ。「本棚を飾る」ために翻訳書を買うのだから、ちょっとくらい「安い」からといって古本など買わない。
そんなことより、一人の信頼できる翻訳家の作品を買う、一人の信頼できる翻訳家に投資すると思って「定価」で買った。そう思うことで、いままでにない爽やかな満足感もあじわえた。
読者に「定価」で買ってもらうにはどうすればいいのか。翻訳書という商品には聞いたことも、見たこともない原著者名がデカデカと刷り込まれていて、読者が親しみを感じ、ときには輝いてみえる翻訳家の名前の方は小さい。
出版人は「本が売れない」とよくいう、なぜ売れないのかその原因を深く探求していないから、いまだに「本」を売っている。「売れそうな本」、「ウケそうな本」、「お手軽な本」を生産している。だが、読者は「本」など買っていない。読者は「信頼できる翻訳家」を買っている。
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