通訳翻訳館には求人情報を配信するメールマガジンと求職情報を配信するメールマガジンがそれぞれある。現在、求人情報を配信するメールマガジン『通訳/翻訳のお仕事発見!』には通訳・翻訳の仕事を探す求職者が1万3千名ほど登録している。一方で求職情報を配信する『通訳翻訳サービス提供者発見!』メールマガジンには通訳者・翻訳者・通訳翻訳SOHOなどの通訳翻訳サービス提供者を探す求人者が600名ほど登録している。
求人情報メールマガジンの登録者数と求職情報メールマガジンの登録者数を比較すると22対1となり求人者数に対して圧倒的に求職者数が多い。求人情報メールマガジンは1999年、求職情報メールマガジンは2001年に発行開始しているのでその差は考慮しなければならないものの、今後も求人者が求職者を上回ることはない。
通訳・翻訳の仕事がしたいと思う人は多いが、企業側が求める採用基準をクリアできる人は極めて少ない。通訳・翻訳の仕事をしたいと思う人は増えている一方で企業側(雇用側)が求める通訳・翻訳レベルは高度かつ専門的になっている。ワールドカップのような国際ビックイベントが毎月開催されるなら「通訳・翻訳の仕事がしたい」と思う人でも何がしかの仕事にありつけるかもしれない。だが、それは非現実的である。
日常的に海外との連絡、交渉が必要とされる企業では自社社員採用の段階で職種の専門性、高い英語力、日本語力、優れたコミニケーション能力を求める。しかも数十回におよぶ面接を経て選抜される優秀な人材には充実した語学教育プログラムや留学制度が用意されいる。大企業から始まったこのような人事制度はすでに人気業種や成長が見込まれる企業では一般化している。
このような企業にはヘタな英語通訳者や英語翻訳者よりも英語通訳・英語翻訳ができる人材がわんさかいる。だが社員の能力と時間給を考えれば本業でない英語通訳・英語翻訳業務を片手間にやらせるわけにはいかない。たとえ通訳派遣会社や翻訳会社に通訳・翻訳業務をアウトソーシング(外注)しても、優秀な社員を本業でしっかり働かせればもとが取れる。だから通訳派遣会社や翻訳会社に外注するというわけだ。
通訳・翻訳の仕事がしたいと思う人の大半は「得意の英語力を活かして」と考えている。けれども英語の通訳・翻訳マーケットは他言語に比べて通訳・翻訳人材が豊富で競争が一番激しいマーケットだ。しかも外注元の企業にはヘタな英語通訳者や英語翻訳者よりもデキル人材がいる。そのため英語の通訳・翻訳マーケットで生き残ってゆけるのは実力があり、体力があり、根性があり、営業センスのある人しか生き残っていけない。だが、「得意の英語力を活かして」と考えている人はこういう現実を知らない。
英語の通訳・翻訳マーケットが毎年拡大し、英語が使える人材も不足していた時代ならいざしらず、海外留学や語学留学が珍しくなくなったいま「得意の英語力を活かし」だけでは使い物にならない。たとえ、通訳派遣会社や翻訳会社の登録スタッフになったところで実力もない、体力もない、根性もない、営業センスもない人は「使い捨て」にされて終わる。
本気になって「英語の通訳・翻訳の仕事をしよう」、「一生の職業にしよう」と考えたなら、英語の通訳・翻訳マーケットがどのような状況にあるのか、これから新規参入するとしても自分がどのようなマーケットポジションになるかを調べるだろう。もっと調べれば、どれくらいの収入が見込めるか、どのような暮らしができるのか、だいたい予想がつく。そこまで予想ができれば「得意の英語力を活かして」だけではとうていできない職業であるとわかる。
だが、通訳・翻訳の仕事がしたいと思う人の大半は「得意の英語力を活かして」を合言葉にまじめに通訳・翻訳学校に通っている。なぜだろう、その源泉を探ってゆけば「得意の英語力を活かして」と宣伝している通訳・翻訳教育産業にたどりつく。高い授業料を払い通訳・翻訳学校に通い続ければ、「いつか通訳者・翻訳家になれる」と。しかも「優秀な人には仕事を紹介する」とまで言っている。
通訳・翻訳学校の親会社は通訳派遣事業や翻訳事業を手がけている場合が多い。だから「優秀な人には仕事を紹介する」ことが可能なわけだ。なるほど通訳・翻訳学校の親会社は通訳派遣事業や翻訳事業で使えそうな人だけを通訳・翻訳学校から調達し、使えそうにない人であっても授業料収入で確実に儲けることができる。
通訳・翻訳学校では仕事の取り方、営業の仕方も知らない生徒たちを相手に「エージェント(通訳翻訳会社)から仕事をとるな」、「クライアントと直接取引きすべきでない」、「エージェントに登録するのが王道だ」などとしっかり教えこんでいく。こうしてできあがった「優秀な人」はエージェントに登録し、ヘタに営業しようなどと思わず、クライアントと直接取引などしない「使える人」となるわけだ。
一方、使えそうにない人であっても「いつか通訳者・翻訳者なれる」という夢を持たせ、できるだけ長く通訳・翻訳学校に通学してもらう。長ければ長いほど授業料収入として通訳・翻訳学校とその親会社(通訳翻訳会社)は儲けることができる。けっして「見込みがない」、「やめたほうがいい」とは言わない。そう言う講師はホンモノだが、生徒や学校経営サイドに嫌われ学校を去っていく。
通訳者や翻訳家の人たちは日本という独特な企業文化になじめず適応できなかった人が多い。幼年期を海外で生活したり、長期にわたる海外留学によって日本の企業文化やビジネス社会に適応できなくなった人、売れない小説家や学者になりそこなった人、そういう人達が生計を立てるための手段として通訳、翻訳を生業にしている場合が多い。
業界誌には「あこがれの通訳、翻訳家にあなたもなれる」、「あこがれの通訳翻訳者にあなたも」というPR文句がいたるところに現れる。このPR文句「あこがれのスチュワーデス」とどこか似ている。なぜ「あこがれ」の対象になるのかを考えれみれば、なれる人がごく少数の限られた人だからこそ「あこがれ」の対象となりえるのである。だれでもなれるのであれば「あこがれ」の対象になどならない。
それでも「あこがれの通訳、翻訳家にあなたもなれる」と宣伝し続ける通訳・翻訳教育産業。バブル経済の成長とともに発展してきたこの産業は、いったいどれだけの「使える」人材を生んできたのだろうか。通訳・翻訳マーケットの最下層部から抜け出せない人材、使い捨てを前提にされた人材ばかり生み出してきたのではないだろうか。ビジネスとして通訳・翻訳教育産業をみたとき、そのマーケティング戦略や宣伝手法は優れている。だが、それは求人と求職のミスマッチを引き起こす要因となっている。
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