第一線の通訳者、翻訳者が書いた本を読んでいると何度も出てくる言葉がある。「黒子」だ。まるで「黒子」、「黒子」、「黒子」と自己暗示をかけているようだ。そのせいか、彼らは人としても「黒子」になってしまった。通訳、翻訳という職務では「黒子」であっても、人として「黒子」なる必要はどこにもない。
スクール関連産業は「黒子」になってしまった第一線の通訳者、翻訳者の態度、姿勢につけこんで「幻想」をばらまいている。「ハッタリ」や「ごまかし」が蔓延し、世間に対して発言していかなければならない人間が何も語らない。
「黒子」であることはもう許されない。表舞台に立ち、責任ある発言をしていかなければならない。「憧れ」、「デビュー」などというキャッチコピーが氾濫しているのはなぜか。それは第一線の通訳者、翻訳者が「黒子」になって穴蔵に隠れているからだ。注意散漫になった人は「幻想」と「テクニック」に溺れ、ドロ舟にのって大航海に挑戦しようとする。そういう人に警告しなければならない。
「黒子」の時代は終わった。自分の名前が一番の資産になる。自分の名前で堂々と仕事ができる。自分の名前に磨きをかけ、人々に感動と喜び、安心と信頼を与える時代になったのである。
「黒子」を卒業して、「主役」になればいい。そして「主役」にふさわしい報酬を要求すればいい。一流の名にふさわしい報酬が得られないのは他人や会社、世間や時代のせいじゃない。自分の名前に磨きをかけ、社会に認めさせようとする気概が足りないからだ。
「黒子」という地位に甘んじていて、何もしようとしない。いくらいい仕事をしても「黒子」じゃ、だれも気づかない。いつかは「気づいてくれるはずだ」などと思っていても気づいてくれない。
マスコミで、テレビで、ラジオで、インターネットで、責任ある発言をしていかなければならない。機会をつくり、機会をみつけ、積極的に発言していかなければならない。「ハッタリ」や「ごまかし」を叩き、スクール関連産業がばらまく「幻想」や「憧れ」をつぶして、「創造」と「尊敬」に変えていかなければならないときだ。何をしなければならないのか、よくわかっているはずだ。
江戸の大通詞、明治の大翻訳家は誰よりも情熱と使命をもって、「日本をつくる」という気概をもっていた。第一線で活躍する通訳者、翻訳者は知っているはずだ。江戸の大通詞、明治の大翻訳家が、現代日本をつくりあげたことを。
「黒子」の時代は終わった。「主役」になりたいと思う人だけが「主役」になる。配役は他人や会社、世間や時代が決めるものじゃない。自分自身で決めるものだ。「主役」になる気概のない人は、「黒子」のまま一生を終えることになるだろう。
「地位が低い」とか、「報酬が少ない」とかいって騒いでいる人がいる。こういう人は死ぬまで「黒子」だろう。「地位が低い」、「報酬が少ない」のは他人や会社、世間や時代のせいじゃない。自分に与えられた使命を忘れ、自分の名前を磨こうともせず、世間に自分を認めさせようともしない。
大企業、大学、スクール関連産業にぶら下がっているだけで、リスクに挑戦しようとしない人は、まもなく舞台から追い出されることになる。追い出されるほうがいいのか、それとも自分から降りたほうがいいのか、選択の時はすでにきている。
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