偽札は法律で厳重に罰せられる。偽ブランド商品も摘発され罰せられる。ところが、ニセ通訳やニセ翻訳は罰せられるどころか、ますます勢いを増している。いまのところ、この勢いに歯止めをかけようとする企業はないし、団体もない。まして政治家や役人が出てくることもないので、いくところまでいくしかない。
あるベテラン通訳者は「カオス」といい、またある翻訳家は「逆の方向」と表現した。要は「過当競争」であり、「何でもあり」になっているということだ。「過当競争」が発生するのは、珍しいことでも何でもない。家電、自転車、自動車、中古車でも「過当競争」は起きた。
だれが生き残り、だれが消えるのか。具体的には、だれにもわからない。とはいえ、いままでの産業で起こった事実と教訓を調べていけば、みえてくるものがある。それはハッタリ、ごまかし、テクニックに溺れたところは消えるということだ。実に簡単で、はっきりしている。
自動車メーカがいくつ残ったか、自転車メーカがいくつ残ったか、それを調べれば「過当競争」のあとにくる「大競争」の輪郭がみえてくる。ホンダ、NEC、日立、IBM、マイクロソフトなどの動向もあわせながら眺めると、おもしろいことがみえる。
流行の「高品質、低価格」の大合唱のなか、「さらなる飛躍」に向けてホンダとIBMが動いている。この2社は、「何か」を仲良く共同開発している。表向きは、カーナビに搭載する「音声ガイダンスシステム」を開発しているということになっている。ところが、ホンダはカーナビのもっと「先」をみている。
NECの通訳ロボットに続き、日立も動き、マイクロソフトも重いケツを持ち上げた。もちろん、スーパーコンピューターの「覇権争い」などではないし、新種の「OS開発」でもない。狙いは「ネットワーク型の何か」である。「機械翻訳」なんかじゃない。すでに「機械翻訳」という言葉では捉えられない「何か」に向かって、巨人たちが動きだした。
もう「機械翻訳」などといっている時代は終わった。この言葉が生まれ、さかんに使われた時代は「マイコン」や「ワープロ」の時代だ。いまのネット社会では、使いものにならない。あの「何か」が持つであろう意味、理念、理想が新たな世界像をつくりあげる原動力になる。それに、世界の巨人たちが気づきはじめた。
おそらく、人類進化にかかわる「何か」であることは確かだ。生物学者のリチャード・ドーキンスは、言語を「第二の遺伝子」といった。この「何か」を支配すれば、「第二の遺伝子」を解読し、組み換え、新たな価値を創造することが可能になる。
不況だ、不景気だなどと叫んでいるあいだに、日本文明は先人たちが夢見たところにいる。中国だ、北朝鮮だなどと騒いでいるあいだに、突きつけられたのは「歴史問題」だけじゃない。世界中の珍料理や宮廷料理を味わっているあいだに、食ったものは「異文化理解」だけじゃない。
日本人と日本文明が、どういう歴史的座標軸に「いま」あるのか。世界、ひいては人類にどれだけの影響力を持つことができるのか。未来社会をどう築きあげていくのか。先人たちから、滅びた異文明から、人類の歴史から問われている。その答えが、あの「何か」の中にある。
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