通訳・翻訳者はもちろん、中国語・韓国語を理解する者の全てが、避けて通れない問題がある。日本の戦争責任と戦後補償、反日感情の問題だ。どこの国にも右翼、左翼はいる。親中・反中、親韓・反韓、親朝・反朝、親台・反台、いろいろいてあたりまえだし、現実にいる。
相手国にもいろいろいる。親日と反日に二分されるわけではない。百家争鳴の論点ほど重要である。言葉が分かる者だけが、生の意見に触れられる。言葉が分かるからこその、つらさも経験せざるを得ない。
自分が知った隣国の人の意見を、どこまで日本人に伝えるのか、伝えないのか。通訳・翻訳の依頼を受けて名前が出るだけで「あいつはアッチ側の人間だ」とレッテルが貼られたりもする。
仕事の場でもヒヤヒヤの連続。話された内容を、どの言葉でどれだけ伝えるのか、略すのか、通訳の一瞬の判断だ。翻訳なら、自分がどの語を選び、何を削ったか、形になって残り、国際紛争に発展しかねない。
関わると危ないと思うなら、何も伝えず見て見ぬフリ、それも1つの選択肢だ。だが、冷蔵庫のおかずがカビているのを見て、またフタを閉じて戻すような、後ろめたさはぬぐえない。思想が問われ、行動が問われ、勇気が問われる。それでもやるという人間が、もっともっと出てこなければいけない。
日本人の耳目をいくらふさいでも、現地での言論は流通し、世論を形作っていく。隣国との間で、意識の乖離はますます進む。もはや「天動説」と「地動説」くらいのギャップができている現状をどうしていくつもりなのか。言葉を理解するものが間に立たなくてどうするのか。
シャットアウトは、決して解決ではない。また、完全にシャットアウトできるわけもない。中国・台湾・朝鮮半島とも、日本語に堪能な人々がウジャウジャいる。こちらの情報は筒抜けで、すぐさま翻訳が出される。
率からいって、日本人の中国語・韓国語レベル、できる人数が圧倒的に劣っている。私たちは、無知の自覚さえない。日本語だけで世界が見通せると思っている人たちに、もっと伝えるべきことはないのか。
どの隣国にも、日本語がネイティブ並みの通訳・翻訳者がいる。彼らの多くは、苦労して日本語を学習した努力家だ。そして日本人への接客プロだ。だが本当は心の中で、しっかり彼らの立場を持っている。
多くの場合、はらわたが煮えくり返っても、本音を明かさず、日本人の傲慢な感情に配慮してくれる。日本を相手に仕事をし、生きていく方便であることもあろう。彼らの好意に甘え、彼らの額面どおりの言葉を通じて、隣国を理解できたと思っている日本人がなんと多いことか。
日本人の感情を損ねずにご機嫌を取る、よき防波堤が通訳・翻訳者か。日本人を、無知のまま眠らせておくことが、通訳・翻訳者の役割だろうか。日本人だからこそ、日本にとって厳しい事実を、勇気を持っていえるのではないか。そんな日本人通訳者・翻訳者がもっと出てくるべきだ。それが本当の愛国心や誇りではないのだろうか。
|