足りないのは、ホンモノの怒りだ。「腹が立つ」、「むかつく」、「ふざけるな」などといくら言ってみても、それはホンモノの怒りじゃない。そんなものは「怒っているポーズ」にすぎない。ホンモノの怒りは「行動」だ。
わけのわからない日本語を使うインチキ翻訳者の三流翻訳書は買わない。傲慢な会社とは取引しない。難解な言葉をつかって劣等感を叩き込もうとするニセ学者は無視する。ホンモノの怒りは、すべて「行動」だ。
個人的な感情で怒るのもいいが、本気で怒れ。職業人生をかけて、本気で怒っている人ほど信用できる人間はいない。人間が本気で怒ると、その人間の本性が現われる。ホンモノの怒りのなかには雑音も含まれるが、問題の真相も含まれる。
ハッタリ、ごまかし、テクニックに溺れている人間が本気で怒れば、ハッタリ、ごまかし、テクニックがバレる。だからハッタリ、ごまかし、テクニックに溺れている人間は、本気で怒るのが怖い。世間体や他人の目が気になって本気で怒れない。だから、本気で怒ることができる人間は、なかなかいない。
ハッタリ、ごまかし、テクニックに溺れている人間は、そろって「わきあいあい」とすることが得意だ。甘い言葉をつかって、持ち上げるだけ持ち上げておく。けっして怒らない。本気で怒ることができないだけに、陰険なイジメや人間虐待を平気でやる。やる方も、やられる方も気の毒としかいいようがない。
ハッタリ、ごまかし、テクニックを駆使すれば、いくらでもカッコのいいことは言える。中途半端に怒ったり、テクニックに溺れて怒れば、必ず仕返しされる。中途半端に怒る者は、その中途半端な姿勢と態度を見抜かれ、人望を失う。
ホンモノの怒りは「摩擦」を生み出す。「わきあいあい」とすることが好きな人たちは「摩擦」を極度に恐れる。しかしながら、「摩擦」をなくした組織、社会、文明は衰退し崩壊する運命にある。組織の活力、社会の活力、文明の活力を生み出す源泉は「摩擦」であり、人間の感情だ。
私的利害を超越しなければ、本気で怒ることなどできない。取引先、世間体、他人の目など気にしていたら、本気で怒ることなどできやしない。本気で怒る人間は、真剣勝負をやっている。ホンモノの怒りは、人の目を引きつけ、魅了する。
ホンモノの怒りは「摩擦」を生み出す。ホンモノの怒りを持った人間同士が真正面から怒りをぶつけあえば、火花が散る。怒りをぶつけ、論理を使って怒りをぶつけ続ければ「不満」というガス燃料に火がつく。
それこそ「不満」というガス燃料は社会に充満している。ホンモノの怒りで「摩擦」を生み出し、ホンモノの怒りをぶつけあうだけの勇気と覚悟を持った人間が「不満」というガス燃料に火をつける。火に油を注いで大きくしたいと思う人間は腐るほどいる。だが、ホンモノの怒りで「摩擦」を引き起こそうとする気概のある人間は、めったにいない。
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